車はこの世から無くなるべきだと思う

2016.12.1


今日は運転免許の更新に行ってきました。今回の更新でゴールド免許です。でも全然うれしくありません。

なぜなら、私は車がとっても嫌いだからです。もちろん車は持っていません。この世からなくなればいいと思っています。別に車に何かされたわけでもないけれど。じゃあなんで免許取ったんだなんて愚問はなしで。

免許更新に行って改めて車への不満が込み上げてきたので思いのたけを書きます。多少言葉遣いが乱暴です。

 
 

運転者講習の目的がわからない

更新手続きの中で30分の講習を受けるのですが、もうね、生産性がなさ過ぎて聞いてられない。内容を要約すると

事故は怖いから気を付けよう。

…バカかと。そんなことみんな知ってるんですよ。事故が怖いことを知らなかったから事故に遭った人がいるの?

「大阪は事故件数ワースト2です。」

ダメじゃん。何堂々と発表してんの?それを聞かされて私たちはどうすればいいの。ここまで来たらワースト1を目指しましょうってか。
 
 

事故を防ぐなんて人間にはムリ

どんな優れた内容の講習をやっても事故を防ぐ効果なんてないですよ。あるわけがない。急に飛び出す人を避ける能力が身に付くわけじゃあるまいし。見えないものは見えないし避けられないものは避けられない。

人間は絶対に失敗します。その前提のもとで人が死なないようになってないといけないんです。ちょっと操作を誤っただけで人生が終わるようなものがこれだけ世の中に普及していることがおかしい。

 
 

車は乗り物としておかしい

車が一般人の移動手段として当たり前に使われているこの状況が未だに納得できません。

最近になってやっと自動運転なるものが出てき始めましたが、完全な自動運転社会になるのはまだ少し先の話でしょう。

 
 

死角が多すぎる

死角があるのは仕方がない。歩いていたって死角は必ずあります。しかし、車は死角があることを許容するには速すぎます。そして自由すぎます。その上死角だらけときたもんだ。救いようがない。

すぐ前に子どもが立っていても見えない。もちろん横も後ろも。見えるのは前のガラスと小さなミラーの中だけ。そんなものが毎日世界中をビュンビュン走っている。どう考えてもおかしいでしょう?

 
 

少し当たっただけで事故になる

あれだけ図体がデカイくせにちょこっと当たっただけで傷がいって、何万もかけてそれを修理する。何がしたいんだ一体。せめて当たっても柔らかいものにでもしておけば事故は減るんじゃないのか?

まぁ事故がたくさん起きたほうが儲かる業界であることは確かですね。
 
 

ルールが多すぎてわからないのでみんな適当に走っている

100種類以上ある標識を覚えて、かつ運転中それらを認識しながら走れというルールがそもそもおかしい。そんなの相当の訓練を積まないと不可能です。テレビのクイズ番組で「この標識はどういう意味でしょうかー!?」「へぇー!知らなかったー!」なんて平気でやってる。正気の沙汰じゃない。そんなだから事故で亡くなったり怪我を負う人が減らないのです。

 
 

車は飛行機のようにきちんと訓練された人だけが乗るものであるべき

レールの上を走るわけでもなく歩行者のギリギリ横を走り抜ける乗り物が、簡単な練習をしただけで乗れてしまうという仕組みを直ちに変えるべきです。パイロットのように、それが仕事としてある程度の地位が与えられるようなものであってもいいと思います。そのぐらい難しい乗り物なのです。
 
 

それか、物を運ぶ手段に特化する

産業として、自動車はあまりにも大きくなりすぎたため無くそうとして無くせるものではありません。日本は自動車によって支えられていると言っても過言ではないでしょう。しかし、もう少し減らすべきじゃないですか?人ひとりが通勤するためだけに1台の車が道を走るからおかしなことになるのです。せめて、人が運べないものを運ぶための手段としての乗り物ではいけないですか?

 
 

望む、完全自動運転。手動運転が法律違反という社会。

もうすぐそういう風になるらしいです。やっとです。自分が事故を起こす前でよかった。…まだわからないけど。

完全自動運転になるまでは車の運転は最小限にするつもりです。というかその前に車があんまり走ってなくて歩行者もほとんどいない田舎に移住します。
 
 
 
 

ここまで車を嫌ってる人はいるのだろうか。いたらぜひお話したい。これに関してはあまり賛同してくれる人がいないので。

否定ばかりしてしまいましたが、これも大切な人やものを失うようなことがこれ以上起こらないでほしいという気持ちを伝えたいがゆえのものです。ご容赦ください。

よりやさしく、安全な世の中になることを祈っております。