スポーツと音楽が「バカになるための娯楽」になりつつある
スポーツが人気。人気すぎる。
明らかに昔よりも報道される時間、種目数が増えている。
スポーツ好きを増やそうとしているのか?と思うほどだ。
熱狂できる対象を積極的に国民に与えようというしている雰囲気。
最近は音楽もそうなってきた。
CDの売り上げよりも、ライブやフェスの動員数が重視される傾向にある。「みんなで盛り上がろう!こっちへおいでよ!」という感じ。
それにつられて、CDを家でひとりで聴くよりも、大人数で集まって生演奏を聴いて騒ぐことを求める人が増えている。
本当にそのスポーツや音楽が好きなのであれば、テレビやCDで事足りるはずなのに、多くの人はそれを大人数で集まって観て騒ぐためにわざわざ会場に足を運んでいるのだ。
これは果たして良いことだと言えるのか。
「娯楽を楽しむ人が増えているのは良いことじゃないか」と思うかもしれないが、問題なのはその娯楽の質の変化。
つまり、そこに求めるものが「良いものを観る、知る」ではなくて「みんなと騒げる」「バカになってもいい」空間に変化しつつあるということだ。
ハロウィンがこんな一大イベントになったのも同じ理由だろう。
これはあまりいいことだとは思えない。
娯楽というのはストレス解消法として存在するものなので、裏を返せばそれだけ熱狂できる娯楽が無いとやってられない社会になってきているとも言える。
スポーツ観戦やフェスへの参加でバカになってギャーギャー騒ぎたくなるほどのストレス社会。
生まれたストレスを消すことよりも、どうすればそのストレスを生まないようにできるかを考えるべきなのに、バカになることを選んでしまう人たち。
そしてそれを良しとする社会。
政府は基本的に国民に余計なことを考えずに過ごしてほしいので、スポーツや音楽のような非難が起きにくくて人が熱狂しやすい、クリーンなイメージを持つものがこうして娯楽として受け入れられているのは好ましいことのはずだ。経済効果も相当なものだし。
なんてことを考えると、娯楽にまで疑心が芽生えてしまう。
年始からそんな深読みをする私。
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