「拘束=人件費」という危険な考え方

2022.7.18


人件費というものが当たり前に存在していますが、よく考えるとそれって結構危険なことだと思うのです。

報酬というのは何か価値を生み出したときに支払われるものですが、そもそも「生み出した価値(つまり売上)の中からしか支払われない」ということが意識されていないことが多い。

 

「人を拘束するのだから、人件費が支払われるべきだ」

というのが当たり前になっていて、それが無いと「とんでもないことだ!」と大騒ぎになる。

国も「最低賃金」とうたって、人を拘束するときにはこれだけ払いなさいと決めてしまっている。

 

これの何がいけないかと言うと、最初に述べた通り、拘束=人件費になると価値を生み出すことが意識されない状態になってしまうのです。

労働者は、「決められた時間この作業をすれば報酬が手に入る」ということだけ意識していればよくて、その作業がどんな価値をどれだけ生み出すことに役立っているのかなんてどうでもよくなる。

 

すると仕事=作業、つまり自分以外でも全く問題ない仕事になり、やりがいが給与の高さのみになる。

雇用主にしてみれば、「この作業が機械で出来るようになったらすぐ導入しよう。」ってなもんです。

 

労働者は最低賃金に守られているようで、つまらない仕事に就いてしまうきっかけにもなっているということを知らないといけません。

 

また、人件費は事業そのものにとっても害があって、一人じゃできない事業を始めるハードルがとんでもなく高くなるのです。

「人を拘束するのだから、人件費が支払われるべきだ」という脳みそが出来上がってしまっているこの国では、手伝ってもらおうにも売上なんて当然ないので、身銭から人件費を出さないといけない。

ということは一人でいくらか成功させられる事業でないとスタートできない。

もしくは、儲かるかどうかわからない状況でも「報酬なんていらないよ!」と言って手伝ってくれる奇跡的な人材を集めるしかない。

これは日本にとってももったいないことです。

 

「売上を出さないと報酬がないのは当然だ」と考える人が多ければ多いほど新しい事業が生まれやすいし、「どうすればもっと価値を生めるのか」ということを考える自主性のある労働者も増えるに違いありません。

農業なんて正にそうで、種まきから収穫までの作業に対する人件費なんて本来あるわけがなくて、とにかく一人で頑張るか、借金をして機械を買うか、奇跡的な人材を見つけるしかない。雇ってみても、農作業を単なる作業としか考えていない人ばかりなので成長しない。だから当然新規参入も少ない。

きっとほかの分野でも同じことが起こっているのでしょう。

そんな中、最低賃金を引き上げようという議論が活発になっているようで。どうなることやら。