公開日:2019.6.19
最終更新日時:2019.6.19

「真面目なポンコツ」という批判されない悪


これを言うと人格を疑われるかもしれないが言おう。

 

「真面目なポンコツ」は悪となりうる。

 

真面目、ということは無条件に良いこととされやすい。特に日本では。

だがそれは非常に危険で、「真面目」に「ポンコツ」が加わると周りに悪い影響を及ぼす可能性が出てくる。

 

 

わかりやすいのが、仕事における「真面目なポンコツ」だ。

 

取り掛かっている仕事が必要なものなのか、時間をかけるべきものなのか、というところを抜きにして”真面目に”取り組み、本当に必要な仕事をなおざりにしてしまう。

 

手を抜くことが悪で、とにかく真面目に取り組むことが良いことのように部下に指導してしまう。(能力に関係なく真面目さだけで部下を持ってしまうサラリーマンの多いこと)

 

こういう人たちは、ベクトルが違うのにズンズン進んでいくのでたちが悪い。

遠目に見れば「真面目に仕事に取り組んでいる」ということになるので批判もされにくいため、余計に悪い。

 

もちろん私生活で真面目に取り組むことは誰にも批判されるべきではない。

だが仕事となれば話は別で、そこに対価が発生している限り、決められた時間でより良い方法を選択して任務を全うする責任がある。

「真面目にやったからOK」では仕事とは言えない。(自営業、もしくは雇用主がそれでいいのなら口出しできないが。)

 

日本ではそういう状況が看過されやすい。

 

要するに、日本には真面目を叱る文化がないのだ。

シンプルに不真面目な悪のほうがよっぽど扱いやすい。

 

 

AIが発達したりベーシックインカムが導入されたりして、真面目なポンコツが余計な仕事をしなくていいようになれば解決するのだが。



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