自分より能力の低い人に子どもの教育を託すという緩怠

2023.4.6


また学校批難です。

学校というのはそもそも、自分にはできない役割を外注する先なわけですが、この「自分にはできない役割」という部分に対して大きな疑問が出てきます。

 

小学校の勉強ぐらい、親が教えられるのではないかと。

 

もし自分が小学校の勉強もちんぷんかんぷんだったというのであればぜひとも学校へ行かせてあげてほしいのですが、そうでなかった人は、わざわざ学校に行かせなくても自宅でサクッと教えてやればいいと思うのです。

 

また、果たして学校の先生は自分たちより勉強を教える能力が高いのかという問題もあります。

自分のほうが料理が上手なのに、毎日お金を払って他人に作ってもらうなんてことは普通しないでしょう。

もし自分より能力が高いとしても、教室で10人以上の子どもたちに向けて教えるときにその能力が発揮されるかどうかはわかりません。

 

そして、担任が変わるという制度もあるのでその質もまちまち。(こちらには先生を選ぶ権利すらない。)

 

そんなことでは外注先としてふさわしいとは言い難いのではないでしょうか。

 

自分が英語を話せないので、英語が話せる先生が教えてくれる英会話教室に行かせる、というのならわかるのですが、今の学校(特に小学校)はまるで子どもを日本語会話教室に行かせるようなもんですよ。

そんなの自分で教えられるでしょ、と。

 

さらに言うと、学校は無駄なことに時間をかけ過ぎ。

大人になっても「あれは意味があったのか…?」と思うことが大量にあるでしょう?

そういうことを省けば、教える労力なんて大したことないはずです。

 

子どもが興味を持ったけど自分には教えることができない、という状況に至ったときに初めて外注すればいいのです。

 

「学校は勉強を教えるためだけの場所じゃない!」と主張する人もいますが、じゃあ学校の先生しかやったことのない社会経験の乏しい人間が勉強以外の何を教えるというのでしょうか?

 

社会の常識?人に迷惑をかけない生き方?

 

それこそ、それぞれの家の教育方針に委ねるべきでしょう。

 

学校は無条件に行かせるべき、という思考停止した人ばかりなのでなかなか問題にはなりませんが、かなり異常な制度だと思いますね。


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