不便も便利も慣れたら終わり


欲を追い求め続けてもキリがないという話を何度かしてますが、またその話です。

 

タイトルが結論なんですけど。

 

人間は良くも悪くも慣れるということができる生き物で、命に関わることでなければいつの間にか慣れて、不自由さを感じずに暮らすことができます。

 

例えばお風呂。

今の家は自動湯張りと追い炊き機能のあるお風呂ですが、移住前の大阪のマンションではどちらも無いお風呂でした。

じゃあその大阪に住んでいた期間ずっと不便さを苦痛に感じながら過ごしていたかというとそんなことはなくて、10分経ったら水位を見に行く、冷めてきたらお湯を足すという作業を習慣としてやっていました。

そして今、2つの機能が追加されたお風呂を数年使っていますが、毎日その便利さに喜びを感じながら過ごしているかというとそういう訳でもなくて、やはり「ふろ自動」と「追い炊き」ボタンを習慣として押しているのです。

 

もちろん最初は不便さや便利さを感じていたかもしれませんが、数日間だったか数ヶ月間だったかは全然思い出せません。

何が言いたいかというと、このわりと短い期間に慣れてしまう「便利さ」に振り回されている人が多すぎやしないかと思うのです。

 

どうせ慣れてしまうのなら、わさわざ何かを我慢してまで"良いもの"を手に入れるメリットはそんなに無いのです。

 

もともと余裕があって、一時期の喜びとわかって手に入れる分には何も問題なくむしろ健全なことだと思いますが、世の中にはお金を借りてまで"良いもの"を手に入れようとする人がわんさかいるのだから不思議でなりません。

 

極端に言えば、便利の喜びを感じ続けたければ不便と便利を繰り返すのが1番良いのです。

 

不便を感じる

慣れる

便利に手を出す

慣れる

便利を手放す

不便を感じる、以下繰り返し

 

そうすれば、同じ便利さを大きな代償を払うことなく何度も味わうことができるでしょう。

無限に繰り返せるわけではないかもしれませんが、たとえば物の買い替えの際にランクを下げてみるというのは選択肢としてアリでしょう。

ほとんどの人は、不便に戻ることなく一方通行で便利を求めてより上のランクのものに買い替えようとするので、体や資産に限界が来てしまうのです。(多くの場合、より便利なものはより高価である)

 

不便を感じる

便利に手を出す

慣れる

次の便利に手を出す

慣れる

次の便利に手を出す

慣れる

次の…

こうできるのが理想なのは否定しませんが、社会情勢と自分自身の能力が相応のものなのかをしっかり考える必要があります。

 

少なくとも社会情勢は次の便利に進める状況ではないのは確かです。

来年も次の便利を求め続けるのか、不便に戻るという賢さを身に付けるのか。果たして…