「実体のあるもの」に価値があるという原点に立ち返る
「実体のないもの」だらけの世の中に慣れてしまって、それらに価値があると思い込んでしまいがちな現代人ですが、少し立ち止まって「それに本当に価値があるのか」を真剣に考える必要があると思っています。
わかりやすいのはお金です。日本円。正式な名前を日本銀行券といいます。
昔は金の量に応じて発行されていたのが、経済成長するにつれて銀行券の量が足りなくなったので、金の量と関係なく経済の大きさに応じて発行されるようになりました。
現在では経済の大きさすらも無視して発行され続けています。(なんとか経済を大きくしようとジャブジャブお金を刷っているが、うまくお金が回ってくれないのが今の日本)
信用取引なんていうのはその象徴ですね。実際にはないお金を動かすことができるなんて、冷静に考えるとおかしな話です。
これは日本に限ったことではないです。先進国では軒並みこのような現象が起こっています。
現在の世界の為替取引額は、実際の貿易の100倍以上もあるんだそうです。FX取引のようなマネーゲームはまさに実体の伴わない取引だと言えます。
こういう実体のないものは、いつか壊れます。なくなります。バブル崩壊、リーマンショックがその例です。定期的に起こります。
それが”いつなのか”がわからないので、多くの人がその波に乗って(飲まれて)痛い目を見ることになるのです。
仮にうまく乗れたとしても、得られるのは実体のないお金だけです。
いや、お金が得られるならいいじゃん。
と多くの人が思うかもしれませんが、そのお金自体の価値がなくなってしまうのではないかという話です。
そうなってもおかしくないほど刷られているのです。生活している中では気付きにくいだけで。
じゃあそうすればいいのさ、という話ですが、「実体のあるもの」に戻ればいいのです。
「実体のあるもの」、言い換えると「世の中のためになるもの」。さらに言えば「人類の存続に不可欠なもの」です。
上記の記事では、食料・エネルギー・健康を例に挙げました。
役に立つモノ・サービスを生み出している企業なんかもそのひとつでしょう。
実体のある金融資産としてよく「金」が挙げられますが、じゃあ個人が金の延べ棒を持っていてなにか役に立つかと言うとそうではないので、私は金の価値は疑問視しています。結局は”銀行券換算でどのぐらい価値が上がりそうか”でしか見ていない人がほとんどですから。工業的には価値のあるものであることには違いないのですが。
ポイントは、「簡単には増やせない物」であるかどうかです。
個人的には、農地はそれにあたるものだと思っています。農地は減っていく一方です。
農地じゃないところを農地にするには莫大なお金がかかるので、増やそうと思ってもそう簡単には増えないはずです。(農地を宅地にするのは簡単…!)
個人個人が、世の中のためになっていて、簡単に増やせないものは何なのかを考えてそこにお金やお金をしっかり投入する社会になれば素敵ですね。
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