公開日:2021.11.24
最終更新日時:2021.11.24

脱成長は「逃げ」か


ある本の一節で、自給自足で暮らしている人は他人に対する愛がないという趣旨の言葉があった。

 

社会問題と向き合わず、自分のことだけ考えて暮らしているのが自給自足の生活だと。

愛があれば社会と自分を切り離さないのだと。

 

確かに一理ある。

 

一社会人であれば、自分なりに少しでも社会に貢献できることはないかということについて考えて生活するべきである。

少なくとも今の社会では、お金を稼いだり消費したりする、つまり経済活動に参加すること自体が社会貢献になるので、全く社会貢献していない人はほとんどいないと言える。

 

自給自足とはそこから逸脱する行為なので、社会貢献していないということになる。

しかも多くの場合は公共サービスを利用しながら暮らしている、いわゆるフリーライダーなので、いよいよ社会にとって悪だという論理が成り立ってしまう。

 

それがたとえ地球環境のことを思っての行動だとしても、やはり社会と繋がってより良い文化を築いていく道を捨ててはいけないのだろう。

環境破壊だの何だの言われながらも、多くの人の食を支えるだけの量の作物を育てている人の方が愛があると言えるのではないかということ。

 

 

自分を省みてみる。

 

脱資本主義を掲げて、お金をいかにかけずに豊かに暮らせるかを考えて過ごしている。

しかしその中身は資本主義によって生み出された低価格で高品質な商品によって支えられているのが現実である。

 

これもいわばフリーライダーなのかもしれない。

 

脱成長というのも、ある程度成長しきった社会によって生み出された数々のモノ・サービスに囲まれているからこそ言えること。

このような葛藤がありながらも、この考察、暮らしを発信して共有することでなんとか社会貢献しているのだと自分を納得させて囲炉裏に火を入れるのであった。



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