スマホ子育て容認派の親が学校を批判してはいけない
「三つ子の魂百まで」という慣用句を信じると、幼稚園以降にいくら熱心に教育したってベースはもう出来上がってしまっているので親が期待するほど効果はあがらないと言えます。
最近の研究でも3歳までに脳や運動能力のかなりの部分が決まってくるということがわかっているそうです。
しかし世の中の親はおそらく「三つ子の魂百まで」という言葉を知っていても実際には「3歳までなんて教えたってまだわからないでしょ」「教育は幼稚園からでしょ」と心のどこかで思ってしまっている人が多いのではないでしょうか。
その結果、学校で成績がイマイチなわが子に対して「うちの子は勉強(運動)ができないんだ」「先生の教え方が良くないのでは」「そもそも今の学校の制度は正しいのか」などと考えるようになる。
そして塾に余計なお金をかけ、先生たちも自信を無くし、子どもたちもやる気を無くすという負のサイクルへ…
実は3歳までの子どもへの"見くびり"が原因かもしれないのに。
本当はいろんなことに興味を持ってどんどん吸収できるのに、多くの親がテレビやスマホでその興味を埋めつくしてしまっているのではないでしょうか。
「テレビやスマホでもいろんなことを知れる」
本当にそうでしょうか?
大人になってからはそうかもしれません。しかし3歳までに経験すべきことはそこにあるでしょうか?
話すこと
相手の反応を見ること
体を動かすこと
水や土、生き物や木々に触れること
字や絵を描くこと
挙げだすときりがありません。液晶の映像とスピーカーから出る音をじっと眺めて聞く時間にそれらが奪われてしまうと考えると、その影響を気にせざるを得ません。
「テレビやスマホを悪く言うから子育てのハードルが上がってますます少子化が進むんだ」
というスマホ子育て容認派が最近増えてきているようですが、そういうものに頼らないと子どもの面倒が見られない家庭はそもそも何かが間違っていることに気付くべきです。子どもがではなく自分の行動(思考)が間違っていることに、です。
少し話がそれますが、マスク文化も子どもへの見くびりだと思っています。子どもたちが人の表情を見て学ぶ機会を奪っているからです。
今の子どもは親以外の人の顔をちゃんと見られる機会がどれだけ与えられているでしょうか。
みんな一緒だから問題ない、と片付けてしまってもいいのでしょうか。
大人が制限されることに関してはほとんど興味がないのですが、幼い子どもが制限されることは悲しく思います。
その制限によって発達障害などと言われるものが生まれているだけかもしれないのに。
大人の見くびりによって子どもが制限されているという可能性を無視して、自分たちが制限されることを怒ったり学校を批判したりしている大人を見ると日本の未来は暗いとどうしても思ってしまうのです。
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