社会的弱者とただのバカを混合してはいけない


最近やたらと「社会的弱者を守らなくては!」みたいな風潮が出てきている気がするのですが、社会的弱者の中にただのバカが含まれているのが結構気になります。

 

一攫千金をねらって借金でギャンブルをして失敗したせいで貧しくなってしまった人

遊び呆けていたせいで良い仕事を見つけられずに貧しくなってしまった人

お金が無いのに学費の高い学校へ行って、ローンの返済のせいで生活が苦しい人

 

結果的にはどれも貧困層、つまり社会的弱者として「救われるべき人たち」に数えられるのでしょうが、原因は明らかに思慮不足であり、みんなの手で救うべき対象かというと必ずしもそうではないのではないかと思います。

しかし、そういう思慮不足のただのバカがあまりにも多いせいで、「自己責任」という言葉を使うことが許されない雰囲気すら出てきました。今なら自己責任論を唱える政治家なんてすぐに政界から追放されるでしょう。

こうなればもう社会は足の引っ張り合いです。「私も社会的弱者(バカ)だから救ってよ!」という"自称"社会的弱者が溢れかえるのです。

 

その行き着く先はどこでしょうか。

私はベーシックインカムだと思っています。

 

「本当の社会的弱者とただのバカを区別するのはめんどくさいし、これだけ渡すからお前ら黙ってろ」という社会。

お金を渡したところでバカはバカのままなので豊かにはならないんですけどね。

 

 

「バカだとしても失敗したときには救われる社会であるべきだ」という主張もありますが、それは未成年までの話ですね。親がバカだと当然子どもにも影響するので、そのサイクルから抜け出すための救いが必要です。

未成年には社会全体で失敗から復活するための(もしくは失敗しないための)働きかけを惜しみなくしてあげるべきです。

しかし大人になってからはやはり自己責任として扱わないと社会がもたない。実際にもたなくなってきているのが今の社会ですね。

さらに悪いことに、未成年への働きかけである公共教育の質がだんだん下がってきているのでなんとかしないとこの国は本当にまずいことになる気がしています。