「陽気さ」という文化的資本

2024.4.1


私は常々「陽気に過ごそう」と意識しているのですが、歳をとるにつれてこの「陽気であること」は結構重要な資本であると思うようになりました。

 

陽気であることのメリットとして

味方をつくりやすい

落ち込みにくい

という点があげられますが、これは社会に出て仕事をする上でもとても重要だと思うのです。

味方をつくりやすい=助けられやすい。有意な情報を得やすい。

落ち込みにくい=失敗を恐れない。失敗してもすぐ次に進める。

これらはつまりチャンスをつかみやすいということに繋がっているのです。

 

なので、社会人になれば自分の性格に関係なく陽気な人を演じたほうが、楽に世渡りできると私は思っています。

ちょっと大袈裟に喜んでみたり、大変そうにしてみたり、聞こえるように独り言を言ってみたり。要は「私は今こんな状況ですよーこんなこと考えて動いてますよー」というのをアピールしながら行動するのです。

32歳で大工見習いとして仕事をするには必須の資本だろうと今まさに感じています。

 

そしてそれよりも重要と言ってもいいのが陽気な親でいること。

親が陽気だと家が陽気。家が陽気だと会話が増える。会話が増えると健全に育つ。

そうして陽気な家で育った子どもはそれなりに陽気になり、世渡り上手な大人に成長する。つまり陽気は引き継がれるのです。

 

これって金融資産と同等に大切にするべき文化的資本ではありませんか?

増やそうと思って努力したとしてもそう簡単に増やせるものではないので、金融資産より希少性が高いかも。

 

→つまり、陽気さを保つ(増幅させる)ための出費というのは投資と考えてもいいのかもしれない。

親じゃないのに陽気でいるために出費ばかりしている人、子どもに苦労させてまで自分の陽気さを保とうとする人もいるようですが…。(2024.4.1追記)