ゆとり教育の何が悪い!階層社会の何が悪い!

2017.5.21


私はちょうど、ゆとり教育への転換期に小学生でした。

土曜が休みになりました。

総合の時間がありました。

円周率が3になりました。

それが今の自分にどういう影響を与えているのかは分かりませんが、

「自分はどういう目論見で決められた教育を受けてきたのだろう。」

という疑問、好奇心が今になって沸いてきたので、改めて調べて考えてみました。
 
 

「ゆとり教育」はこうして始まった

ゆとり教育になる前までは、極端にいうと「工場労働や事務作業をいかに従順に、効率良くできる人間を増やすか」という教育をしてきました。

しかし、そんな時代はとっくに終わっています。

そういう作業の効率や正確さは、人がいくら努力したって、現代の機械には到底及びません。

 
ほとんどの人にとって役に立たない「微分積分」のようなことを教える時間があるなら、

いかに将来を心身ともに健康で幸せにすごせるか

ということや

人工知能のような最新技術でも真似できないような、豊かな想像力やコミュニケーション力

などを重視した教育をしたほうがいいはずだ。

というのがゆとり教育の始まりです。

 
とは言いながら、微分積分のような知識を実際に社会の役に立てられる賢い人たちには、エリートとしてしっかり高度な教育をできる環境を整えています。

つまり、

“全体として微分積分を知っている人は減るけれど、みんながより豊かになって、かつエリート層の量と質は保たれる社会にしよう。”

というわけです。
 
 

ゆとり教育に対する批判

皆さんご存じの通り、ゆとり教育には様々な批判があります。
 

格差が激しくなる

賢いやつはどんどん学んでますます賢くなって、資産を増やして豊かになる。

そうじゃないやつはそれなりの知識で、それなりの資産で幸せになろうとする。

けど、エリートには敵わないので、そこまで人生の選択肢は多くない。

こうなると、

「できるやつにばっかり教えて豊かになっていくなんておかしい、教育は平等であるべきだろう!」

「階層社会の広がりに拍車をかけるつもりか!」

という批判が出てきます。

 
でも、そもそも階層社会は悪なのか?
という疑問。

できる人、したい人にしっかり教えてその分野で活躍してもらう。
活躍してもらった分高い報酬が与えられる。

そうじゃない人には別の分野で頑張って社会で活躍する場を見つけてもらう。

それが自然じゃないですか。
向き不向き、好き嫌いがあることを無視して「教育は平等だ!」と一律に同様の教育をしようとするのはただの思考停止ですよね。
 

優秀な人材が日本から出ていってしまう

エリートは、自分にとってより良い環境があれば、知識も資産も十分にあるので、そこに簡単に行くことができます。

より社会福祉が充実しているところ

より給料が多くもらえるところ

より土地の資産価値があがりそうなところ

より税金の安いところ

もちろん、それが日本以外であってもです。
というか、日本以外である可能性のほうが高い。

すると、豊かな国にするために行ったゆとり教育のはずなのに、結果的に日本を引っ張っていく能力をもつエリート層が日本からいなくなるというジレンマに陥ります。

「それはいかん!愛国心を育む教育をしよう!」

ということで、「日本がいかにすばらしい国か」ってことを歴史から教え込もうとする動きが出てきました。

でも、日本の歴史を教えられたところで愛国心なんて育まれますか?

「あー、歴史だる。」で終わるのがオチ。

 
「日本って素敵な国だな」

とみんなが思う要因は、自分の周りの人とのつながりによるものがほとんどで、それを教育で刷り込もうとするなんてナンセンスです。

確かに、制度的な面での生活環境の善し悪しを常に一番で保つのは無理な話なので、愛国心を育もうとすることは理にかなっていますが、

その方法として正しいのは歴史を教え込むことではなくて、より良い人間関係を育むための教育や環境を整えることですよね。
 

親が詰め込み教育をさせる

「学校になんて任せてられない!」と言って、子どもの意思や能力に関係なく夜遅くまで塾やお稽古に行かせたりする親が出てきます。

そうなると、ゆとり教育の目論見は全て台無し。

でも、国は親の方針にまで口出しすることはできないので、どうしようもありません。

一番必要なのは、親の教育なのかもしれませんね。


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