農業の本当の価値は、食料供給することなんかじゃないからね


農業といえば、みんなの食卓に並ぶ食べ物を育てて収穫し、売る仕事。

というイメージ。

厳しい環境であっても、
よりおいしく、きれいで新鮮で、そして安いものを届けるために、日々努力をしている。

この食料の供給こそが、農業の価値だ。

供給の質・量で、その農家の価値が決まる。

というイメージ。

農業をしている人自身も、きっとほとんどがそう思っているはず。

 
 

野菜工場に負ける農家たち

食料の供給が農業の価値なら、

広大な土地があるアメリカや、工場でシステマチックに(もしかするとオートメーションで)大量生産できる大企業なんかが“最も優れた農業”をしていることになる。

ということは、世界の農業は全てそうやって行われるべきだと言える。

違和感がないだろうか。
 
 
確かに、食料を求めている人たちにとっては、大量生産されたもののほうが当然ありがたく、価値のある農業に違いない。

日本の個人農家がいくら手間ひまかけても
というより、手間ひまをかけるほど、

供給量は減り、価格は上がってしまう。

「食料の供給」という点では、

工業的な農業には到底かなわない。

 

果たして農業はそんな業界なんだろうか。

 
 

農業の本当の価値とは?

私が思うのは、

農業の本当の価値は

食料の供給自体ではなくて、その過程で生まれるものにある

ということ。

 
例えば、景色。

田んぼが空を映したり、金色になったり

きれいに草が刈られていたりと、

人が見たときに「きれいだなぁ!」と癒される景色をつくり出せる。

 
そして、そこに集まる生き物。

カエル、トンボ、シラサギ、人…。

その豊かな生態系は、野菜工場ではつくれない。

 
 

本当の価値を活かせ!

これらの価値は、お金に換算しにくい。

なので見落とされがちだけど、農業がこれからも海外や工場に負けずに発展するには

そこを見つめ直して、もっと活かすことを考えなくてはいけない。

たとえそれがすぐにお金に結び付かなくても。

間違っても、工場の真似事をしながらボロボロになっていく農業にしてはいけない。