森林所有者の悲痛な叫び。日本の森林は本当にまずいことになっているようです。


岡山県の西粟倉(にしあわくら)村というところで、「百年の森林構想」なるものが進行しています。

手入れすればするだけ赤字になってしまうと言っても、ほったらかしにできないから、役場が預かるという「百年の森林構想」が立ち上がった__

 
50年前に未来の子どもや孫のために植えた木を、立派な100年の森に育てていくために
費用負担なしで役場が森林を預かり、管理するという取り組みのことです。

この取り組みについて取材をしているメディア「Through Me」より、森林所有者の想いや林業の深刻な状況が読み取れる部分をご紹介します。

 
 

木材の価値がとにかく低い

今の相場だとね、杉が1立米(4メートル50センチ四方)7,000円〜8,000円。
それが、1980年頃は、杉でも3万5,000円はした。

檜は今は1万2、3,000円という値段で売られているけれど、当時は5〜6万円した。

自分ががんばれば、がんばっただけ、実入りがあるわけだからよかった。
普通1万円くらいの日当が、がんばれば4万円になる、という世界だった。

林業で、家が建ちましたからね。

 

今、市場でなにが起こっているか知っていますか? 競り上げではなしに、競り落とし。

競り子が3万円から始めようと言ったら、「4万円」「5万円」と上がっていくのを想像するでしょう。
だけど実際は、4万円が3万円になり、終いには1万5,000円まで下がったりしますからね。ひどいもんです。

 

まずは7年間下刈りして、木が1mまで伸びたら初めて枝打ちをして、そこから5年ずつ上にしていって、6mの枝打ちが最後の補助金対象でした。

6mの枝打ちはとても自力ではできないし、人を頼んで、1町に70万円くらいかけた人が、私も含めてたくさんいる。

そうやって手をかけた木でも、今はタダみたいになっているのが実情です。

 

まぁどちらにしろ、木が安いことがいかんわい。木の値がこれから上がるなんてことはないように思います。

 
 
一番の原因は、海外からの安い木材の流入でしょう。

「日本の資産である森林を守っていこう」という文化がなくなり、森林を「売るための木」としか見なくなてしまったこと。

山が荒れようが、安い木材が手に入る方が大切という世の中になってしまったのです。

木材の価値が下がったから、手をかけることをやめる。 すると森林全体の価値が下がり、もう価値のある木は採れなくなるという負のサイクルに陥ることになります。

 
 

日本の森林は、もう手遅れ

無節の通し柱(本柱)を取るのには、6mの高さまでは枝打ちしなくちゃいけなかった。 百年の森林を目指すなら、あの頃にきちんと枝打ちしたものでないといかんね。

例えば今になって枝打ちしても、虫が入って腐りが早くなってしまう。 百年かけて育てる木は、小さい頃から育て上げた木じゃないと。

私の木だって、最初の頃のものは別として、後半に植えたものは3m以上の高さの枝打ちをしてないから、今から枝を打っても手遅れです。

 

山に行くと、元気な木はすごく大きくなっているし、倒れてそのままになっているのもあるし、自然間伐でいいと思うことにしています。建築用材がとれるような森にはもうならん。

 

本当に質のいい木・山を育てるには、小さいころから手をかけてやらないといけないのだそうです。

そのことから、この「百年の森林構想」で既に”手遅れ”な森林を預かって管理し始めても、「百年の森林」にはできないという厳しい声も多くあるようです。

 

 

役場による管理方法への不満

私は古い人間ですから、30年前なら立派な木が5万円で売れていたイメージが焼きついている。

当時は、市場に行って皮がめくれていたり、傷がついていたりしたら、少しのことでも値段が1万円落ちていた。
だから、森の所有者も木材関係者も、みなさん一本一本の木を大事にしていた。

今はもう全然違うじゃないですか。
時代の流れだから仕方ないと思いつつも、皮がめくれ放題なのを見るとね…。

 

初めて百森の作業が入ったときは、ごっつ気に入らなかった。
自分のこだわりもあるし、役場へ怒りに行ったりしたんですよ。

作業する前の打ち合わせで納得していたんだけど、終わってみたら山が道だらけで、必要以上に木も切られてるように見えてしまって。

間伐もすればいいわけでなし、密度を低くしすぎたら台風で倒れやすくなるとか、日が入りすぎて下草がすぐに伸びてくるとか、問題もありますから。

 

僕らやったら、一寸でももったいないから根を掘るように伐れって親父から教育を受けているけれど、百森の作業の後に山に行って搬出した後を見ると、株の一番いいところがごろごろ放り投げられている。

それと、僕らは木が衝撃で折れたりしないように、必ず上の斜面に向けて木を切っていました。
でも、今は機械で下から引き上げるほうが楽だから全部谷に倒している。中には折れとる木もある。

そういう作業のやり方時代の変化は、時代が変わったんでしょうね。

 

今、作業をした後の山には、まだまだ使える木が捨て置かれていて、もったいなく感じます。

人夫賃が高いから、手間をかけたら赤字になるのは、分かるけど…。

 
 
ここでもやはり、森林に対する価値の違いが時代の流れで大きく変わってしまったのだと感じさせられます。
 
 

それでも、日本の森林を見捨てない想い

(村をあげて、高価な木を育てていく道はないでしょうか?という問いに対して)

ないでしょう。機械化をして、多少皮に傷が付いてでも効率よく木を出すのは、木の値段はもう高くならない前提と、あきらめがあるからです。

今は「山ほどいらんものはない」と、みんなが思ってしまっています。

 
 
このようなあきらめの声が多い中で、森林を価値ある資産として後世に残していこうという想いを持っている方もおられます。
 

貧相なことを言っていたらだめ。子どもや孫に「300年先には1,000万の木を3,000本売れるで」って言っているんです(笑)。

1,000万の木が3,000本ということは、300億です。300億いうたら大きなこと。
月給取りが一生に儲ける金が、大体が3億ほどだそうです。

「今日び山を管理しても無駄」なんて言ってたら、次の世代の人たちに未来がなくなってしまいます。

 

 
安易かもしれませんが、日本の森林の価値を高めることは、日本の土地の3分の2の面積の価値を高めるということです。
逆に言うと、3分の2の面積の価値がどんどん下がっていってしまっているのです。

私たちの暮らしに欠かすことにできない「木」を自分の国では価値ないものとして扱うなんて、おかしいとは思いませんか?

 
 
参考記事

「時代の変化を受け入れる苦悩と、変わらぬ想い」山で働いて40年。元森林組合・福島さん(私と百森vol.03)

「木が安くなっても、山は宝。見捨てるのは忍びない」山主歴65年以上・平田さん(私と百森vol.4)

「いつかは人の手に委ねざるを得ないとしても」山仕事が身近な最後の世代、萩原さんの葛藤(私と百森vol.5)