「メンテナンス」をしなくなった僕たち〜「使い捨てが基本」の世代〜


メンテナンス。

きちんとしているだろうか。

あげだすとキリがないけども、基本的に年単位で使用するほとんどのものはメンテナンスをしたほうが長持ちする。

というよりは、メンテナンスすることを前提につくられている。

家や車なんてものは極端な話、命にも関わる。

 

けれど、僕たち(いわゆるゆとり世代以下)はメンテナンスというものにあまり馴染みがない。

 
 

メンテナンスを気にしなくていい時代

いろんなものがめまぐるしく変化していくので、同じものをずっと使うということが上の世代と比べてかなり少ない。

今日買ったものが、来年には「古いもの」になる。

そして皮肉にも、どんどん買い換えられるほど、いろんなモノが安く、簡単に手に入るようになった。

 

メンテナンスして長く使ったとしても、使えなくなる前に飽きる

メンテナンスにわざわざ時間をかけるのが惜しい

という世代。

 

それに合わせていろんなものが、「メンテナンスフリー」をうたうようになったり、「そろそろメンテナンスして!」と教えてくれたりするようになっている。

無料定期点検サービスとか

フィルター交換ランプとか。

こうしてメンテナンスがどんどん僕たちから遠いものになってきている。

 
 

メンテナンス離れの原因

おそらくこの“メンテナンス離れ”は、作り手の顔が見えなくなったことが原因なのだと思う。

大量生産・大量消費の中で、作り手の想いを考える人などいない。

売る方もどんどん次を買ってもらうことを望んでしまっている。

どんどん買い換える前提で生産と消費なのだから仕方がない。

これが、今の経済では合理的な選択なのだ。

 

これを進歩と捉えるか、退化と捉えるか…。

 
 

「メンテナンス」か、「買い換え」か

いずれにせよ、私はメンテナンスできる人でありたいと思っている。

今は、正直できていない。

 

言い訳をすると、メンテナンスフリー時代に生きてきたので、そういうことを教わっていないのだ。

メンテナンスの道具をそもそも持っていなかったりする。

「買い換えたほうがコスパ高くね?」

という発想に至ってしまうからだ。

 

コスパの良し悪しは抜きにして、せめて私はメンテナンスするか、買い換えるかを選択できるようになっておきたいと思う。

「これはメンテナンスして長く使う。」

(自転車とか。もちろん安物のママチャリではない。)

「これはメンテナンスして使うには手間のわりに長持ちしないので買い換える。」

(電子機器とか。素人にはハードルが高いし、手間ほどのパフォーマンスを期待できない。ヘタに長く使うと事故のもとにもなりかねない。)
 

こういうことをきちんと考えて、モノを買って使いたい。