【あなたはどっちの味方?】私と妻の第三論争を共有するから意見をくれ
論争1.「洗濯機」
天気予報がはずれて、干していた洗濯物が濡れてしまい、
「最悪…また洗濯しなきゃ…」
と言う妻。
それに対して私は言った。
「いやいや、洗濯は洗濯機がしてる」
と。
まぁこれだけ聞いたらほとんどの人は、なんてひどい旦那なんだ!と思うかもしれない。
妻が激怒したのは言うまでもないが、とりあえず私の言い分を聞いてくれ。
まず、「洗濯は洗濯機がしている」という日本語は正しい。
この時点で、感情論を抜きにした論争では間違いなく私に軍配が上がる。
さて、問題はその感情論だ。
それを踏まえた私の言葉の意図は、
「いやいや、洗濯は洗濯機がしてる(今や洗濯は機械が自動でやってくれるから、あとは干すだけ。楽な時代だよね。)」
楽になったはずの洗濯して干すという行為に、そこまで気持ちをブルーにされる精神で良いのか。
「ルンバのフィルター掃除(そんなのあるのか知らないが)が面倒だから掃除が嫌い」
とか言い出す人になりたくないだろう。
ということだ。
わかっていただけるだろうか。
同じ作業をするのなら、「楽勝楽勝♪」と思ってやれるほうがいいに決まっている。
それを「ひどい」という感情で打ち消してしまうのはいかがなものか。
論争2.「一家だんらん」
これはなかなか繊細な論争。
まさにこの「一家だんらん」の記事を更新したときに、
「更新したから読んどいてねー!」
とお願いすると、
「え、内容教えて。」
と答える妻。
「いや!読んで!」
と食い下がると
「“一家だんらん”なら、話さずに読ませるなんておかしい!」
と反論してくる。
確かに一理ある、と思うかもしれない。
しかし、記事を書いている私としてはこう思うのだ。
「小説書いたから読んで!」と言う人に対して、
「え、内容教えて。」
と言えるか?
その内容を伝えたいだけなら話すわい。
そうじゃなくて、記事の「文章」を読んでほしいのよ。
「文章」を読んだあとに、「こう思った」「ここはどういう意味?」という具合に話をすることこそが一家だんらんなんじゃないか!
論争3.「ありがとう」
私は皿を洗ったときに、妻から「ありがとう」と言われるのが好きじゃない。
それが当然のことだと思っているからだ。
「それを当然だと思わずに、ちゃんと感謝するお嫁さん素敵!」
という人がいるかもしれないが、
私にとっては
風呂で自分の体を洗ったときに、「ありがとう」と言われるぐらいの違和感があるのだ。
いや、洗って当然でしょ。と。
たとえ二人分の食器だったとしても、それをいちいち「自分の分」「妻の分」なんて分けて考えないし。
「当然」のレベルが違う。
さて、どうだろうか。
男脳と女脳で分かれるのだろうか。
ぜひ第三者の意見を聞きたい。
※こういう論争はわが家流の一家だんらんですのでご心配なく。
最後に、この記事を公開することを了承した妻に敬意を表する。
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