食事が「ただの作業」になった社会と、これからの農業


プロテインを飲み始めて思った。

栄養を摂るのって、すごく簡単になりましたよね。

 

一食分相当の栄養がゴクゴクっと一気に摂取できちゃう現代。

そして安い。

 

プロテインはあくまでも補完物ですが、今は完全食という、本当に食事の代わりになるようなものも開発されているようです。

 

現代人はやりたいことが多すぎて、「食事で栄養を摂取する」ということにはそれほど重きを置いていないみたい。

というよりは、重きを置かなくても栄養失調になることはない社会になったということかな。

 

どちらにせよ、テーブルにお椀とお皿を並べて箸を持ってする食事の重要度はどんどん下がってきていることは間違いない。

そして、これからもその傾向は変わらないと思う。

 

サプリメント的な食事のコストがどんどん下がって、一食分が100円ぐらいで済んじゃうようになれば、そっちに流れる人はわんさかいるはず。

コンビニで買って電車で飲む、みたいな。

時間もお金も節約、とかみんな好きそうだし。

 

 

さて、そこで考えないといけないのが農業の立ち位置。

どれだけ食事の重要度が下がっても、食料が必要なことは変わらないはず。

これからも農業は必要。

 

ただ、「食材」というよりは「原料」としての供給が求められるようになっていくと思う。

最終的に粉末や液体にされるもの。

 

これらは味や見た目なんかはどうでもよくて、とにかく安定して大量に供給されることを求められる。

だから、アメリカのように広大な土地でどデカい機械でガンガンつくってガンガン収穫する農業が活躍する。

 

こういう農業では、当然日本はアメリカには敵わない。

平地が少ないし、そもそも土地自体が狭い。

 

だから我々日本人農家は、違う土俵で戦わないといずれ立ち行かなくなってしまう。(生きてるうちは大丈夫かもしれないけど)

 

 

でもでも、もしサプリメント的な食事が一般的になったとしても、「テーブルでの食事」を楽しむ人たちは一定数残るに違いない。

 

「テーブルでの食事」にこだわり続ける"変わり者"

今でいうキャンプのような感覚で「テーブルでの食事」をアクティビティとして楽しむ人

たまの贅沢で「テーブルでの食事」をする人

ステータスとしての「テーブルでの食事」

デートやお祝いの場としての「テーブルでの食事」

 

一言でいえば、嗜好品ですね。

こうなれば、もしかしたら今よりも味や見た目が重要視されるようになるかもしれない。

 

ここに対する「食材」の供給という土俵でなら、日本でも戦い続けられるんじゃないかな。

 

「日本の清らかな土地で、丹精込めて育てた作物です。」

これに勝る「食材」はまだ世界にも無いと思う。

 

 

こういうわけで、アメリカの下位互換のような農業を目指すのは、何か違う気がするわけです。

 

粉や液体にされないようなものを作り続けたいな。