「従業員にやる気を出してもらう」は無理。モノとして扱う方が正しい。


「従業員のやる気をどうやって出すか」

というのは、人を雇う会社の永遠のテーマです。

 

結論から言うと、私は会社が従業員のやる気を出すのは無理だと思います。

 

 

例えば月給制の社員の場合、月にいくらもらえるか決まっているので、基本的には「いかに楽に短い時間働くか」が最重要課題となります。

同じ報酬なのであれば、それにかける時間や労力を少なくして、他のより有意義なものにそれらを当てるのが合理的であることは否定できません。

 

雇い主側としては、「勤務時間中は常にフルパワーで、人の仕事を取るぐらいに働いてほしい」というのが本音なのでしょうが、
それを社員に求めるのは明らかに雇用主の甘え・幻想で、そんなことは“普通は”起こりえません。

 

もし社員が雇い主の希望通りにフルパワーで仕事をし続けたとしても、

働く時間を少なくしてもらえるわけではないし(むしろ増やされる可能性が高い)、

自分が社会で有名になるわけでもない(会社は有名になるかも)。

 

もしかしたら給料が少し増えるかもしれない、程度のことです。

 

そのためだけにフルパワーで働くという選択をする人は、自分の時間の価値を軽視しすぎているだけです。

か、何か弱みを会社に握られているか。

 

 

“普通は”起こりえない

と言いましたが、例外的に社員が自らやる気を出して働く場合もあります。

 

それは、やればやるほど指数関数的に報酬が増えるという場合です。

 

やればやるほど働く時間を減らせる。

やればやるほど有名になれる。

やればやるほど収入が上がる。

という具合に。

 

やればやるほど収入が上がる、というと、時給制で働く人を思い浮かべてしまいますが、それとは違います。

「指数関数的に」という部分が重要です。

 

時給800円の人は、どれだけ必死で働いても1時間の価値は800円のままです。

それは比例的に収入が増えているだけです。

従業員のやる気が出るのは、やればやるほど時給がぐんぐん上がるような場合です。

 

もはやそれは従業員ではありませんよね。

答えを言うと、経営陣がそれに当てはまります。

 

経営陣は、自分たちがやればやるほど有名になる可能性も高いし、働く時間も収入もある程度操作することができます。

ですので、従業員にやる気を出してほしいという願望は、経営陣に迎え入れることでしか叶えられません。

 

会社が従業員に経営理念への理解や事業の拡大への貢献、忠誠心を求めるのはお門違いで、

本来、会社は単純に

この労働を機械にさせるか、それとも人間にさせるか

という選択を行うべきなのであって、

機械にやる気を求めないのと同じように、人間にもやる気を求めず働いてもらうのが自然な雇用関係です。

 

機械は買ってきて電源を入れれば休みなく働いてくれる

人間は雇って月数十万与えればある程度言うことは聞いてくれる

このどちらのほうがコストが安いか、ということです。

 

「人をまるでモノのように扱うなんて、非人道的だ!」なんて思う人もいるかもしれませんが、結果的に人をそういう気持ちで扱ったほうが、会社も従業員もストレスなく働けるはずなのです。

 

むしろ、そこで変にやる気や愛社精神などの必要以上のものを求めるから、

パワハラやうつ、過労死なんてものが生まれてしまうのです。

 

ただ、中には従業員でも「仕事が楽しい!」という人がまれにいます。

それはもう天職としかいいようがなくて、雇用主にとっても従業員にとってもこんなにラッキーなことはありません。

全ての雇用関係がこうなれば素敵ですけどね。

 

 

少しずつではありますが、そういう仕事を見つけようとする人も増えてきている気はします。

これから機械の存在がより大きくなってくるにつれて、この傾向は強くなるのかもしれません。

 

雇用関係、どうなっていくのか見ものですね。