教育=「すごい人」や「すごいもの」により多く出会わせること
教育、というと教室で先生から何かを教えてもらうイメージがありますが、もうその考えは変えた方が良いと思うんです。
今の子どもの学びって、ほとんどが半ば強制的じゃないですか。
とりあえず学校へ送り込まれて、いるかいらないかよくわからないことをひたすら考えさせられ、覚えさせられる。
自発的な学びと比べたらその効率は著しく悪いはずです。
本当にその事柄が子どもたちにとって必要なら、いかに自発的に学んでもらうかに意識を働かせないといけません。
そのために一番効果があるのはずばり、「すごい人」や「すごいもの」に出会わせることです。
たとえばピアノ。
小さいころから習うことが大事だからと言って子どもの意思に関係なく(意思が芽生える前に?)教室に通わせる。よくある教育の姿でしょう。
これを自発的にさせたいのなら、ピアノを超かっこよく弾く人に出会わせればいい。
それで「すげぇ…!こんな風になりたい!」と思ってもらえることができればもう放っておいてもピアノの練習をするし、上達も早いでしょう。
国語も数学も歴史も理科も英語もプログラミングも、それを使ってかっこよく活躍している人に、もしくはそれらにまつわる感動できるものや場所に出会わせることから始めようよ、ということです。
それで関心を示さないのなら向いていないか、まだ早いということです。それなのに無理やり学ばせるのはもう教育ではなくて洗脳。
「あなたの将来のためにはこれが必要なのよ。(根拠なし)」
親からそう言われたら子どもはやるしかない。判断できる経験もないし。
反抗したら反抗したで、「親の言うことを聞かない子」というレッテルを貼られる。もう八方塞がりです。
英才教育なんて最悪ですね。
親に決められた道で、「自分にはこの道しかないんだ」と、道からそれないように歩いていく。何が楽しいんでしょうか。
偶然その道の天才だったらいいですけどね。
今はインターネットがあるから、「すごい人」や「すごいもの」を目にすることが容易にできます。
もちろんネット上じゃなくリアルで触れられるのが一番いいですよね。そういう意味では自分の興味の有無に関わらずいろんなところに出かけたり、いろんなものを買ったりするのも意味のあることなのかもしれないなと思います。
コストパフォーマンスにばかり気を取られていると良い教育から遠ざかっていくのかもしれませんね。
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