資本主義を抜け出して向かうべきは「地球主義」


脱資本主義と言っておきながら、抜け出したあとにどこへ行き着くのかということについてあまり考えてこなかったことに気付き、考えてみました。

その結果、行き着いたのが「地球主義」

 

前にも書いたことがありますが、日本における資本主義ってそこまで悪い仕組みではないんですよ。

頑張れば頑張っただけお金が得られる。かと言ってそれを強制されているわけではなく、ちゃんと弱者への支援もある。

 

実際に、ここまでわりと長い期間資本主義でやってこれた。

ではなぜ今になって、限界だなんて言われるようになったのか。

 

その理由を突き詰めて考えると、地球という資源に限界がきているからというところにたどり着くんですね。

 

無限に(数字上)成長しないと気が済まない資本主義。

有限である地球という存在。

そもそも無理があったのです。

 

数字上の成長は人を豊かにしないことはみんな十分わかったので、これからはもっと視野を広くして、地球丸ごと豊かになっちゃおうと考えれば良いんじゃないでしょうか。

 

鶏をゲージにぎゅうぎゅう詰め込んで薬を与えながらたくさん鶏肉をつくるよりも、数は少なくなったとしても元気に育てる環境を目指した方が地球は豊かになる。

毎日自販機でペットボトル飲料を買うよりも、家から水かお茶を水筒で持っていったほうが地球は豊かになる。

安くておしゃれな服を毎年買い換えるよりも、自分に合った服を治しながら長く着るほうが地球は豊かになる。

 

地球が豊かになるというとは、ひいては人間も住み良くなるはずなんです。

人間も地球の一部なので。

 

これまでは、他人が認める付加価値を生み出せばお金を得られる社会でした。言い換えれば、付加価値を生み出し続けないと生きていけなかった。

だから、壊れないものは誰もつくろうとしない。ほどよく壊れて、また買ってもらえるものをつくるほうが"豊か"になるから。

ゴミを拾うとか、手伝いをするとか、一家だんらんするとかは無価値で、そんなことし続けていても生きていけないのが資本主義。

これではやっぱり豊かにはなれないですよね。

 

地球の持続ために良いことを評価して何かしらの対価を得られるように。逆にいくら付加価値があっても地球にとってマイナスなら制限するようになれば、どんどん地球が豊かになって、環境問題なんて無縁なものになることでしょう。

 

そんなことを考えていると、「地球主義社会には人間は不要」というジレンマに陥るのですが。

でももう存在しているのだから仕方ない。
本当に不要ならどう足掻いたって滅ぶでしょうし…。

 

悪あがきかもしれませんが、地球主義。いかがでしょうか。