「人のためにならない仕事」は自分のことも豊かにしない


自分の仕事が人のためになっているのかという視点は本来第一に持っておくべきなのですが、実際は「それはきれい事でしょ」と考えてないがしろにしてしまう人がほとんどです。

これまでは「人のためにならない仕事」でも、経済成長経済成長で誤魔化しながらなんとか豊かにやってこれたのですがそれにはもう限界が来ていて、原点に立ち返って「仕事は世のため人のためになることでなければならない」ということを見つめ直すべきところに来ているのではないでしょうか。

 

日本では仕事が好きでない人が大半だと言われていますが、それはその仕事が人のためになっていないことが原因ではないかと思っています。

私の場合、前職は銀行で資産運用担当(という名の金融商品販売員)でしたがまさにそうで、仕事をこなせばこなすほど「世の中に不要なものを出回らせた」という罪悪感というか、虚無感のようなものを抱くという状態でした。

給料は高かったですが、それで自分が豊かになれるイメージは全くわきませんでした。「資産を増やしましょう」と言って、自分では絶対買わない投資信託を売って手数料をいただくのですから。(もちろん増えなくても責任は負わない。)

それで自分は豊かになれた、ハッピーだ、なんて言える人はよほどの勉強不足か単純な無思考人間です。

入社当時に持っていた「お金の勉強をする」という目的をある程度果たした段階で辞めることができたのは自分にとってかなり有益であったと今でも思います。

 

もちろん、その仕事に「人のためになっている!」と(客とともに)信じて取り組める人も中にはいるでしょうし、その人は自分も豊かになれるとは思いますがそんな人は極少数ですし、その人だけで会社が成り立つほど現在の資本主義社会は優しくないのです。

 

簡単に言えば、子どもに誇れる仕事かどうかということです。そういう仕事だけでは成り立たない会社(社会)なのであれば潰れるべきで、言い換えればそういう仕事だけで成り立つ範囲で生きていけばその方が豊かな社会に近づけるのではないかと思うのです。

 

多くの人は起きている時間の半分以上を仕事に費やすのですから、100%世のため人のためになると思えることを目指して仕事に向き合うべきでしょう。

100%を無視すれば現金という目先の豊かさは手に入るかもしれませんが、その豊かさは持続しないため、精神を蝕みながら大事な時間を浪費し続けることになります。

 

長い目で見てどちらが真の豊かさへの近道なのか。自分は果たして何%なのか。考えてみましょう。