「義務教育だから」は親の不安に付け込んでいるだけ
義務教育、つまり「教育を受けさせる義務」というのは、国民に課せられたものではなくて、“国民が"国に対して課しているものなんですよーということを去年記事に書きましたが、
今回は、そもそもどういう背景があってこの義務教育というものが設けられることになったのか、ということについて考えてみたいと思います。
結論から言うと、昔は放っておくと「職業教育」と称して親が家の仕事の手伝いをさせてしまい、子どもの「教育を受ける権利」を侵害してしまうのでそれを防ぐためにできた概念です。
子どもの「読み書き計算」習得の機会を奪うことは国益を損ねるほどのことですから、やはり国としてもそこは整備しておこうという考えに至ったのでしょう。
でもそれは「昔の話」なんですよね。
どれだけ不況だと言っても今の時代に子どもに「読み書き計算」を全然教えずに家業を手伝わせる家庭なんてほとんどないでしょう。
現代の日本の親であれば、どれだけ考える頭が無い人でも小学校レベルの「読み書き計算」の重要性は理解しているので、わざわざ「義務教育」だなんて言わなくてもなんとか自分で教えてやろうとするはずです。
と考えると、「義務教育って今本当に必要か?」という疑問が出てくるわけです。
この疑問に対する答えはだいたい決まっていて、
「”社会性”を身につけるために必要」というやつです。
つまり、わがまま言わずに足並みそろえて人の言う通りにできる力を身につけさせたい、ということです。国としてもそんな使いやすい人間が量産されるならそれに越したことはないので、「昔の話」のまま方針を大きく変えることなくここまでやってきたんですね。
確かにそういう”社会性”が必要になる場面もありますが、今の教育はそれさえあればOKと言わんばかりの教育の仕方のように思います。
でも子どもの立場に立ったらどうでしょうか。
「将来立派な大人になるためだから」と言われて、実際にはほとんど役に立たないつまらない授業を毎日受けさせれられる。家に帰っても楽しいことは宿題の後。
肝心の”社会性”が活躍するのは、ブラック企業で我慢して働くときぐらい。でもそれは決して自分を豊かにしない。
「学校に行かないと人と接する機会が少なくなる」などという指摘もありますが、あんな同年齢だけで集団行動することなんて大人になってからありませんからね。それよりも学校外で、いろんな世代の人と接する方がどう考えても重要です。
大人になってから必要になる社会性というのは、例えば他人の嫌がることをしないとか人に親切にするとかいうことぐらいなので、義務教育で9年間も費やして身に着けることではないのです。
普通に考えれば誰でもわかることなのに、「義務教育だから」と言われてしまうと、もし疑問を感じていたとしてもやはり行かせざるを得なくなる。小中学校に行かせない=教育を受ける権利を奪っていると考えてしまうから。この風潮は良くないですね…。
「教育を受けさせる権利」の悪用によって、日本はこのありさまです。
SDGsもいいけど日本の教育もどうにかしないといけないですよね…。
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