弱者を救う社会である限り日本の衰退は止められない


ひと昔前に比べると、高齢者などのいわゆる社会的弱者に随分と優しい社会になりました。

 

それはもう異常なほどに。

 

とにかく平等に。見捨てるなんて非人道的。

弱者を救える社会というよりは、“救わなくてはいけない"社会という感じ。

 

でもそれってよく考えるとおかしな話で。

 

人間以外の動物で、高齢だったり障害を持っていたりする個体を特別擁護することなんてあるでしょうか。

おそらく本当の意味で「平等に」扱い、それで生きていけない個体は生存競争に敗れるというのが自然な生き方でしょう。

 

「人間を動物と一緒にするな」と言う人もいるかもしれませんが、地球で暮らす動物であり、種の存続という本能を持っている点ではやはり同じであると考えるべきです。

 

しかし現代社会は、働き盛りの世代が社会的弱者のために時間とお金を使って疲弊して、若者が口を揃えて「子どもを育てる余裕なんかない」と言ってしまうような状態。

 

さらにはメディアがLBGTなどと称して種の繁栄に適さなかった人たちをおもしろがったり持ち上げたりしている。

 

 

それで人類が存続できるはずがない。

 

本来、守らなくてはいけない社会的弱者というのは、未来ある子どもだけで良いはずです。他は「守るべき」ではなく「守れる」社会であればいい。

 

そりゃあ「みんな見捨てず平等に!」とさえ言っておけば批判は受けにくいし気分は良いのでしょうが、やはりそれはきれい事に過ぎないわけで。

 

それをわかっていても道徳的にその道を選ぶことができないのが人間らしいといえば人間らしいけども。

種の存続よりも種の平等を追い求めて滅んでいくのでしょう。

弱者を見捨てるぐらいなら滅んだほうがまし、というのが”普通”の考え方なんですかね。