「科学的根拠」「医学的根拠」で思考停止している現代人


パンデミックが起こってから特に、「科学的根拠」や「医学的根拠」に世間が敏感になっていますね。

二言目には「科学的根拠はあるのか」「そういう論文はあるのか」「医学的に正しいのか」みたいな言葉が出てくる。

 

まるでそれらがあれば絶対に正しいかのように。

 

じゃあ論文が出た=結論が出たということなので、その分野はその先いっさい発展しない?

そんなことはないですよね。

実際に、過去の論文を覆す論文が新たに出ることなんて普通にあるのです。

 

論文、と言うとなんだか大層な感じがしますが、結局人が給料をもらうために書いたものですから、ひとつの読み物ぐらいに考えておいたほうが良いのです。

いくら論理的でも、そもそもその"根拠"を導くためのデータに欠陥があれば誤った結論です。欠陥ならまだかわいいもので、現実ではわざとデータを偏らせたり隠したりして都合の良い"根拠"を作り上げてしまうこともあります。

 

ですから、人が書いた読み物よりも、自分の生物的感覚を磨いて、それを信じるべきだと思っています。

 

タバコは本当に体に悪いのか

睡眠時間はどのぐらいとるべきなのか

良い子育てとは何か

 

こういうテーマに対しても、あらゆる立場からの"根拠"が存在しているでしょう。

 

でもそれらの"根拠"は参考程度にしておくべきで、やはり最終的には感覚で

 

煙を肺に入れて体に良いわけがない。(でもタバコ業界に繋がっている人は逆を言いたい)

 

人それぞれだが、必要なら眠たくなるし十分なら目が覚めるのはみんな同じ。昼夜逆転は絶対良くない。(でも長く寝られるとカネにならない)

 

他人に預けるより実親が面倒を見た方が良いに決まっている。(でも資本主義的には他人に預けて仕事してくれた方が良い)

 

などと考えて、自分なりの結論を出すべきです。

 

今話題のワクチンもしかり。ウイルスとどう付き合っていくべきかを自分の感覚で決めないといけない。

 

でも現代人にはこれができない。「科学的根拠」「医学的根拠」に頼りすぎて、生物的感覚や考える力を著しく低下させてしまったから。

 

 

最後に、椎名林檎作詞の「雨傘」の歌詞が素敵なので引用しておきます。

恐いことは流されること

五官があるだろ

なにより頼れば良いのに

 

酷い騒音に言葉を失えど

五感を凅らすな

其れだけ頼れば良いから

 

感じましょう。考えましょう。