「人生の暇つぶし」にお金をかけるか、かけないかが問題だ


我々人間(というか生物すべて)がやらないといけないことなんて、本来は生きるための栄養補給とその素材の調達しかない。

日本ではそれに必要な時間なんて微々たるものなので、それ以外の膨大な時間は暇つぶしであると言えます。

 

結局のところ、この暇つぶしの時間に何をするかというシンプルな問題を考えれはいいだけなのです。

 

この暇つぶしの時間に、お金が必要な遊びをするならばその分のお金を稼ぐことに時間を費やさないといけないし、お金がいらない遊びをするならばそれに没頭すればいい

というそれだけのこと。

 

問題なのは、自分が暇つぶしに何をしたいかどうかを一切考えずにただただ他人に働かされている人が大勢いるということです。

 

暇つぶしとして”労働”をすることにした、というのであれば結構なことですが、おそらくそんな人はいません。

「生きるために必要な素材の調達にはこのぐらい労働しないといけない」と錯覚して無駄に働いて時間を浪費しているのです。

 

さらに言えば、「お金が必要な遊び」というのもほとんどは錯覚で、本当はお金をかけなくてもできるのにその発想がないゆえに余計な労働を強いられることになっているという場合が多い。

例えるならば、ドッヂボールをするために線を引くのに、「石灰が必要だ」と言って買いに行っている間に昼休みが終わっちゃった、みたいな感じ。(わかりにくい…?)

足で線を引けばすぐ始められたのにねってこと。

 

私の暇つぶしはお金のかからないものばかりなので、時間がたっぷり残るというわけです。

 

物事をシンプルに考えるというのは、この複雑な世の中では結構難しい。欲しいものをきちんと見定めてからそのために行動するという普通のことができる大人でありたいですね。


家計