バカが下手に勉強するから格差が広がっている

2024.2.4


一般的に現在の教育制度に対する評価は「望めば誰でも高等教育を受けられる良い社会になった」ということになるのかもしれません。

ですが、実際に高等教育を受けた人たちは本当に自ら"望んで"進学したのか、さらに言えばそもそも万人に高等教育を提供することは豊かさに繋がるのかという点については甚だ疑問です。

 

結論から言うと、明らかに勉強に不向きな人たちが高等教育を"受けられてしまう"社会より、他の能力を伸ばすために時間とお金を使う社会になった方がその人のためにも社会全体のためにも良いのではないかと考えています。

 

「他の能力」を具体的に表すならば、「異性を惹きつける能力」こそが必要なのです。

 

基本的に人には得意不得意があり、それらを他人と補い合いながら暮らしていくのが理想です。

それを結婚に置き換えると、勉強が不得意な人は勉強が得意な人をパートナーとして選択するのが理想だと言えます。

 

しかし現実は、勉強が得意な人は偏差値の高い学校に集まり、似たような仕事をし、得意な人同士で付き合い結婚に至ることが多い。

一方で不得意な人は不得意な人ばかりが集まる学校に行き、似たような仕事に就き、不得意な人同士で付き合い結婚に至ることが多い。

 

これでは格差が広がっていくのは当然です。

 

格差の問題は、主に親の経済状況が影響しているとか、支援が足りないとか言われることが多いですが、私はそこではないと考えています。

本当の問題点は、勉強が不得意な人でも進学できてしまうような低レベルな学校が存在することです。

高等教育と言いながら、分数の計算もできないような人を輩出する学校が日本にはたくさんあります。この低レベルな高等(??)教育のせいで、勉強が不得意な人も下手に勉強を頑張ってしまうのです。そしてその結果、勉強が得意な人たちと学歴や仕事内容で比較してしまう人が現れ、それを「格差」だと勘違いしてしまうことに繋がるのです。

 

 

勉強が得意=優秀=パートナーとして優れている

勉強が不得意=拙劣=パートナーとして優れていない

というわけでは当然ないのです。(今さらですが記事タイトルはかなりのミスリード)

勉強が得意なだけで幸せに暮らせるなんて思っている人はいないでしょう。我々は勉強に重きを置きすぎているのです。

 

勉強ができる人同士で結婚し、凝り固まった思想がぶつかってうまくいかない家庭なんて山ほどあるでしょう。(勉強ができる人ほど偏った人格が形成されていたりするし)

勉強が不得意な人は、はなから勉強は諦めて、勉強が得意な人をパートナーにするには何を身に付けるべきか考えて、それを磨くことに注力した方がよっぽど未来は明るいはずです。

 

とても気配りができる

いつも愛想が良い

誰にでも優しい

稼ぐ力がある

手先が器用

体力がある

聞き上手

話し上手

上品

などなど、身につける価値のある能力はいくらでもあります。勉強ができる人たちがせっせと勉強している間、こちらはそういう分野を伸ばしておけばいいのです。

勉強を頑張っている人が身に付けたくても身に付けられないような能力を持っておけば、自分の不得意な部分を補ってくれるパートナーと出会える確率はぐっと高くなるでしょう。

 

そうすることで各家庭のバランスが取れていき、現在のような極端な格差が狭まっていくのではないでしょうか。

しかし勉強ができない子どもの親ほど子どもに「勉強しなさい」なんて言ってしまうのが現実。子どもは親を選べない…。残酷な世の中です。


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