仕事でやっている限りその人の言動は信用するべきではない
前記事に引き続き、供給についての話。
世の中にあるサービスは、"あなたのため"に提供されていると思ってしまいがちですが、それは錯覚で正しくは“あなたが支払うお金のため"である場合がほとんどです。
つまり、供給側にとってはあなたが本当に満足するかどうか、そしてあなたにとってより良いことかどうかよりも、文句を言わずにお金を支払ってもらえるかどうかの方が重要だということです。
私が銀行で営業していたときもまさにそうでした。
投資信託や保険を自分の担当顧客に売るわけですが、その人たちが投資や保険が必要な状況なのかどうかに関係なく、その月に売らなくてはいけない量が決まっているのです。
売り切ることがゴールなので、顧客にどうやって“必要と思わせるか"を考えて会いに行くのです。
必要だと思わせるためには、大小あれど嘘をつくことになります。
供給側は当然「嘘はついていない」と主張するでしょうが、知っている情報の中で「必要と思わせるための情報」を強調して(もしくはそればっかりを選んで)伝えるということをやるので、顧客からすれば嘘も同然でしょう。
“顧客"である限り、この嘘からは逃れられません。
「自分でもそのサービスを利用したいと思いますか?」という質問を投げかければ少し困らせることぐらいはできるかもしれませんが、その質問への対処もおそらく準備済みでしょう。(ちなみに当時私は「家族に勧めたくないものは売らない」と決めたので支店長に直談判して営業から外してもらいました。)
過去記事にも書きましたが、本当のことを教えてくれるのは"元"の人か、家族や友だちの場合ぐらいです。
当たり前ですが、この構造は金融業に限ったことではありません。
もはや真実で成り立っている仕事は果たしてあるのか?というぐらい、仕事というものがある意味"進歩してしまった"のです。
つまり、信用に値するサービスなどほとんどないということです。最近生まれたものは特に。
信用に値する本当に必要なサービスは、仕事として取り組めるほどのお金を生まなくなってしまいました。嘘にまとわれた必要でないサービスにのまれてしまったのです。
だから自分でやるしかない。
だから田舎で半自給、のような暮らし方が見直されているのでしょう。
結局前記事と内容がだだ被りになってしまった…。
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