リテラシーを高めるとそれらが不要であることに気付く


情報リテラシーや金融リテラシーなどいろんなリテラシーがありますが、それらを高めるのは使いこなせるようになるためではなくて、それらが実は不要であるということに気付くためにするのだと考えています。

例えば金融リテラシー。いかに投資が必要かという観点で語られがちですが、投資についてきちんと勉強すれば世間で言われているほとんどの投資が単なるギャンブル(しかも公平でない)で、一般人が手を出すべきではないものだということがわかるはずです。

投資商品、保険商品を売る金融マンは金融リテラシーが低いから悪気もなく売り続けられる、と言ってもいいでしょう。もしくは不要なことに気付いていながら善意を押し殺して働いているだけか。

 

情報リテラシーも同じで、いろんな情報に触れている人ほど「自分に必要な情報などほとんどない」ということに気が付くのです。

向こうからやってくる情報はもれなくそうです。誰かが誰かのために流した情報ばかりですから。役に立つものと言えば、誰かが自分のために備忘録として残した情報ぐらい。おそらくネットの1%にも満たない量でしょう。テレビは論外。

最近はGoogleでの検索にもうんざりしつつあります。業者の営利目的の記事ばっかりで。(Twitter内での検索が一番おもしろい。)

 

 

リテラシーが高いと言って、それらをたくさん持っていることを偉そぶる人、そしてありがたがる人のなんと多いこと。

「リテラシーを高めよう!」という誘い文句に乗って中途半端に知識を手に入れて、都合の良い消費者になってしまう人がどんどん生まれる悲しい現実。

勉強すればするほど不要なものが増えて自分のために使える時間や体力が手に入るのに、そこに気が付ける人はなかなかいない。それが私には不思議でならないのです…。