「誰が見ても合理的」の中に正解はない


田舎に移住していろいろ考えるようになってから気付き始めたのですが、一見合理的でないことのほうが振り返ってみると良い結果になったということが結構あります。
 
 
「給料が良くて仕事内容もそこまで大変じゃなくて、クビになることもない仕事を辞めずに続ける」
 
というのが誰から見ても合理的な判断なのでしょうが、それは傍から見た"表面上の合理性"であって、「世の中のためになっているか」とか「自分の価値を高められるか」などという本質的な部分を無視した判断なのです。
 
 
我々は、誰から見ても合理的なものに対して実はあまり価値を感じないのではないかと思っています。
いや、価値があるのは確かだけども、それに魅力を感じない。合理的=そうあるべき=当たり前ということだから。
 
これが教科書上の価値と実際に私たちが受け取る価値の違い。
 
大学で経済学を学んでいたのですが、そこでは全ての人間が合理的な判断をするという前提で理論が組み立てられているのです。給料が高い仕事に集まり、安く売っている店に集まり、経済活動を行うと。でも実際はそんなことにはならないですよね。給料が高くても仕事内容や人間関係などで全然人が集まらないことはあるし、安く売っていても対応が悪ければ物は売れない。
 
そもそも人間ってそんなに合理的な生き物じゃないと思うのです。「こうした方がいいよね」ということがあっても、面倒くさかったり周りの目を気にしてなかなか動き出さないのが人間じゃないですか。それなのに、「金のためなら瞬時に合理的な方へ動く」という前提で組み立てられた経済学はたぶん間違った結論を導き出すし、その知識で動かされる国もやはり間違った方向へ進む。
 
 
我々はそろそろ合理的思考から抜け出さなくてはいけないのだと思います。これからの時代、豊かさを保っていくには「え!そっちへ行っちゃうの!?(でもそれもいいかも)」という感覚的な価値を再認識して、「これが正しいに決まっている!(みんなもそう思っているはず)」を捨てる勇気を持つことが大切です。