悪なのはランドセルではなく中身の重さだけ
「ランドセル文化は悪だ!」
という主張が定期的に話題になりますね。
最近もモンベルからランドセル代わりになるリュックが販売されて話題になっているみたい。
モンベルの「ランドセル」、12月から全国で販売へ 1万4850円(朝日新聞デジタル)https://t.co/aReVywzUkO
ランドセルは高価なものが多く、そもそも機能的ではないので、日本のランドセル主義はそろそろ見直す時期です。祖父母の入学祝となっているのも高価路線に拍車をかけています。
— 熊谷俊人(千葉県知事) (@kumagai_chiba) October 23, 2022
ランドセルを否定する要因となっているのは主に
高い
重い
という2点でしょう。
しかし実際には「このランドセル」と指定されているわけではないので値段に関しては正しくは
高い(ものが多い)
というのが問題なだけなのではないでしょうか。プレゼントしたい人なんかが勝手に高いものを買っているだけで。
重さに関しては、中身の重さが問題なだけなのにランドセル自体の重さと混合してしまっているだけな気がします。(ランドセルってそんなに重たいですっけ?)
強いて言うなら、1、2年生にとってランドセルは少し大きすぎるという意見には同意します。入学したての子どもたちが大きなランドセルを背負っている姿を見て抱くべき感情は「かわいい」ではなく「かわいそう」であるべきかと。
結局ランドセル問題の根源は、中身の重さなんですよね。
置き勉(死語?)はダメという文化が良くない。カバンが重たくなるほど宿題を出す文化が良くない。なぜカバンが重たくなるほど教材を持ち帰って勉強しなくてはいけないのか。
否定すべきはそこで、ランドセルそのものではない。
とは言いながら、やはり私もランドセルそのものはあまり好きじゃないですけどね。商売の道具にされているみたいで。
物を長く使い続けることを教える、なんて言う人もいますがランドセルだけでそれが身についたらもっと世の中が良くなっているでしょうね…。
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