公開日:2019.2.7
最終更新日時:2019.2.7

「被災体験を風化させないために」という活動は、無駄だ。


「この悲惨な災害を経験していない子どもたちにも、私たちが伝えていかないといけない」

「風化させないために毎年イベントをしよう」

バカなのかな、と思う。

 

被災体験というのは、「いかに早く忘れてまた幸せに暮らすか」ということのために活かされるべきなんじゃないのか。

被災していない地域や、災害を経験していない子どもたちにとっては他人の被災体験なんて正直知ったこっちゃない。

 

アメリカで起こったハリケーンにいちいち想いをはせる人なんているだろうか?

それと同じことだ。

 

「こんな思いをしてほしくないから」という感情が生まれるのは仕方がないが、その悲しみを他の人とも共有しようというのは無理があるのだ。

どんな辛いことがあってもまた立ち直れるように「忘れる」というありがたい機能が備わっているのに、いつまでも「ヒサイチ、ヒサイチ」と言い続けるのは無駄な行為ではないか。

 

被災体験は感情で伝えるのではなくて、統括機関が事実に基づいて

「こういう建物は地震で倒壊する危険性が高いので住んではいけません」

「ここは津波が到達する高さなので建物を建ててはいけません」

「災害に備えてこういう準備をしておかないといけません」

というようにきちんと規制することで、国民が災害のこと忘れながら幸せに暮らせるようにするべきなのだ。

 

地震大国、なんて偉そうに言いながらそんな対策はとらず、平気でまた同じところに同じような建物を建てるのだから救えない。

 

去年の西日本豪雨では避難命令が出て、「こんなところまで水が!?」という状況を目の当たりにしたし、未だに最寄りの駅に汽車は来ないけれど、「この経験を語っていかなくては」なんて全く思わない。

語ったところで、これからも人は好きなところに好きなものを建てて住むだろう。

 

いい加減、日本の被災で団結するという文化をなくさなくてはいけない。



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