公開日:2020.3.16
最終更新日時:2020.3.16

結構本気で自治国家をつくらんといかんな、という話。


またおかしなこと言い出しましたよ。

とりあえず前置き。

 

昭和の真ん中あたりまでは、地域間コミュニティが盛んな社会、いわゆる「地縁社会」でした。

生まれた場所を大事にして、近所付き合いをし、地域の行事なんかもみんな協力して行っていました。

 

それが昭和の後半の高度経済成長期になると、地域よりも仕事、職場を大事にするようになりました。

終身雇用と年功賃金が一般化して、大企業や官庁のサラリーマンこそ安定した有利な職業と信じられるようになり、立派な会社で働くことを一番に考える時代。

 

この結果、サラリーマンの勤務時間は長くなり、住居は寝るだけの場所、家族は消費を共にするだけの存在となって、地域のことも重要視しなくなっていきました。

会社人間、職場人間どうしでコミュニティを形成する「職縁社会」です。

 

そして平成に入ってバブルがはじけると、景気が低迷し続けて、一生懸命働いてもそれほど給料が上がっていかないという風潮が強まり、徐々に「仕事よりもプライベート」という考え方が広がっていきました。

 

すると、同時にインターネットの普及も進んだため、コミュニティはネット上で築くことが一般的になりました。

SNS、オンラインサロンなど。

 

それで稼ぐこともできるようになったので、より一層「立派な会社で働く」ということの価値は下がっていきました。

 

これが現在です。

 

 

さて、じゃあこれから先はどう変化していくでしょうか。

 

おそらく、あらゆる技術の発達によって仕事に対する濃度がさらに薄くなっていくことでしょう。

かと言って、ネット上でのコミュニティにもっと集中していくというわけでもなさそうです。

 

なぜなら、ネット上でのコミュニティでは根本解決に至らないからです。

その場ではなんとなく楽しくて、何かに取り組んでいるような気になれるけれど、やはりどこかにむなしさがある。

「結局はみんな他人同士だ」というところから抜け出せず、現実の動きとしてなかなか現れてこないためです。

 

コミュニティの濃度が上がるならば、ネットはあくまでもきっかけとして使うだけで、その先にリアルな繋がりを求めるようになることが想像できます。

 

つまり、昭和の時代の「地縁社会」にまた近づいていくということです。

 

もちろん同じではありません。昭和時代との違いは、「生まれた場所にこだわらない」という点です。

気の合う人たちで集まる、というところまではネット上でのコミュニティと同じで、その先でリアルな土地で組織をつくって暮らすのが令和の「地縁社会」です。

でも地域を大事にするというよりかは、ともに暮らす仲間を大事にするという感じ。極端な話、場所は住み心地が良ければどこでもいいわけです。

 

 

もう少し具体的にイメージしてみましょう。

ネット上ではなく、リアルな場所でともに暮らすとどんなことができるようになるのか。

 

簡単に言えば、「住まい」「食事」「仕事」「家事」「育児」などのあらゆることを共有、または分担して行えるようになります。

 

たとえば、

大きな空き家を所有して血縁関係を無視して何人かで一緒に住む。

家は別々でも風呂がそれぞれの家にひとつずつあるのは無駄なので共有浴場をつくる。

キッチンもそれぞれにあるのは無駄なので、料理が得意な人にみんなの食事をつくってもらう。

それぞれが嫌々仕事をして少ない給料をもらうのは効率が悪いので、稼ぐのが得意な人に稼いできてもらう

経済的な問題でたくさん子どもをつくるのが難しい、ということを防ぐために、みんなで子どもの面倒を見るようにする

など。

 

陳腐な表現をすると、ファミリーになるというイメージです。

ワンピースの麦わら海賊団みたいな感じ。血の繋がりはないけどそれぞれの強みを活かして一緒に暮らしていく。

 

血縁関係にこだわるのはもう古い考えだ、というふうに世の中が変わっていくと考えればありえなくもないでしょう?

 

 

考えてみると、血縁関係にこだわっているせいで、非効率なことって結構あるんです。

買い物とかまさにそうで、それぞれが車に乗っていちいち自分たちだけの分を買ってくるなんてすごく非効率ですよね。どうせ同じ一往復するなら、みんなの分買ってこればいいのに。

こういうところが、オンラインコミュニティでは解決できなかった部分です。

 

 

実は地方移住というのも、いずれはこういうところに行き着くのではないかと思っています。

移住して、共感してくれる人たちをそこに呼び寄せて一緒に暮らしていく。

政府や会社が信用できなくなってしまった今、個人でできることを考えて、自分たちで組織を形成して暮らしていかなくてはならない時代になっていくのです。

 

そしてその場所に向いているのが、まさに家と土地が余り倒している田舎なんです。

 

独立国家なんて言うと大袈裟で妄想チックに聞こえますが。どうもいい表現がなくて。

家族ではないし、村族?この場合「村賊」か。

 

そうしていきたい、というよりかは、人口減少・少子高齢化・市場縮小が進めば、存続のためにそうならざるを得なくなると思います。

 

存続のための村賊。(これが言いたかっただけ)

 

 

どうでしょう、地方移住が少し意味のあることのように思えてきませんか?



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