なぜ神童は二十歳を過ぎるとただの人になってしまうのか


幼少時代は優れているように見えても、多くは成長するにつれて平凡な人になってしまうことのたとえとして「十で神童、十五で才子、二十歳過ぎれば只の人」ということわざがありますが、なぜそんなことになってしまうのでしょうか。

すごいやつは大人になってもすごいやつでいてほしいじゃないですか。

 

まず考えられるのは早熟説。人より成長が早かっただけで、大人になる頃には追い付かれているというパターン。

まぁこれはありそう。例えるなら、人生ゲームで開始早々連続して10が出てリードしていたけど、ゴールが近付く頃にはその差はすっかりなくなったという感じ。確率論的に見てもこれは当然の現象なので、避けようがないですね。

「神童」と言われてはいるけれど、大人になったらみんなが普通にできている範囲のことしかできていないのなら早熟の可能性ありですね。

 

他にありえるのは怠けてしまった説と、挫折した説

前者は、頑張らなくても人よりうまくやれるため、頑張る必要がある局面になっても努力を避け続けて大人になる頃には埋没してしまうというパターン。

後者は、進学などによって環境が変わり、周りの優秀さについていけなくなって埋没してしまうというパターン。と、すごさが独特で発揮する場所が十分になく埋没してしまうパターン。(駅名全部覚えてる!とか。)

このふたつは防ごうと思えば防げますね。要するに周りとの関係性で失敗しているわけですから、そこを解消してやれば幼少期の優秀さをそのままに大人になれるのではないでしょうか。

 

ではどうすれば周りとの関係性で失敗しないのかという問題ですが、まず学校という存在は避けられるのなら避けるべきだと思います。

楽しくて熱中していても時間が来たら中断しないといけない。嫌いなことでも決まった時間取り組まないといけない。目立ったことをすると注意される。

天才が天才であり続けるにはあまりにも環境が悪すぎると思うのです。そこに通う期間も長すぎる。

周りと比べ、足並みをそろえることによって成り立っているシステムなので、「只の人」になるにはうってつけの場所です。

 

あとは親がどう教育するかでしょう。怠けてしまわないように、かつ周りに圧倒されないように…  難しい。

もともと周りを気にしない性格の子どもなんかは親がどうこう言わなくても自分の道を突き進むのでしょうけど。(そういう人を”天才”と呼ぶのかも。)

 

とりあえず親にできるのは「周りは気にしなくてよろしい」ということを常日頃から伝えておくことぐらいでしょうか…。


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