33歳、沖縄で大工になって1年経ちました


早いもので!とうとう大工になって1年経ってしまいました。

仕事にはそれなりに慣れましたが、やはりまだいろいろ聞きながらやらないと完結できないかな。

 

まぁでもできなくはないです。30歳を過ぎて未経験からでもなんとかなるということは、それほど簡単な仕事なのでしょう。

 

大工とひとくちに言っても、私は「フラッシュ家具の製作、取り付け」が主で、あとは既製品を取り付けたり、床の下地を貼ったりするぐらいなので、「大工です!」と名乗るにはまだまだという感じ。

「こうした方が収まりがいいんじゃない?」などと設計士と相談するレベルになりたいですね。

そこまでいけば、自分で古い家をリフォームしてキレイに仕上げるということができるはず。

 

 

「人手不足なのになぜ大工(職人)の単価は上がらない?」

という声がよく聞かれますが、この原因は先述した通り仕事が簡単になったからだと思うんですね。

 

分業&機械化で、それぞれの職人が担う仕事内容が単純化してしまった。

まず考える人と管理する人と作業する人が別かれて、その後それぞれの中でさらに細分化した。作業する人(職人)で言えば、軽天屋、左官屋、大工、クロス屋、みたいに。そうするとそれぞれの利益が減るのは当然で。

しかも、作業することより考えたり管理したりすることの方が"上"とされているので、職人は"下請け"という立場になり、さらに単価が下がるのです。

 

これは確かに合理的ではあるのですが、良い物を造るという点においてはイマイチな仕組みですね。分業されると目的も細分化されますから。考える人は「採算がとれること」、管理する人は「計画通りに進むこと」、作業する人は「早く終わらせること」という具合に。

 

家なんてそれの象徴で、本来なら「長く快適に暮らせる家をつくること」が、「採算のとれる商品にすること」になるのですから。

それのせいで、現代の建売住宅は棟梁が責任を持って建てていた時代の家より"住まい"としての質は下回っています。明らかに長持ちしないし、環境に害がある。

 

そう考えると、考える人に動かされるだけの大工止まりではいけないなと思いますね。世の中のためにならない。

何かしら"考えて"ものづくりをするか、簡単ではないものづくりをするしかない。

 

もしかしてもしかすると、「作業の簡単さ」を上回るほど人手不足が進んで単価が上がるという流れもあるかもしれませんが、その場合は人が集まってまたすぐに単価が下がるだけです。

 

さぁ、大工2年目はどんな1年になるか…。

とりあえず今は後輩に入ってきてほしいです。(まさに人手不足)